こんにちは!ハンザワです。
みなさんは上司から信用・信頼されていますか。また、管理職のみなさんは部下を信用・信頼しているでしょうか。本日は「信じる」ということに関しての記事です。ハンザワが体験した出来事とその体験について思ったことを記事にしました。
- 信じているから、それで良いよ
- 管理職の仕事は部下を信じることではない
- 疑う人は悪い人、信じる人は良い人だという風潮が管理職の職務放棄を生む
- 「部下を信じていました」は責任逃れ
- 忙しくて全てを見ていられないは会社組織を改善する必要あり
- 最後に
信じているから、それで良いよ
ハンザワは会社で会議の資料作成を担当することが良くあります。つい先日も、年に1回の大きな会議に向けて、資料を作成しました。何度も何度も資料を見直し・修正して、自分では完璧にできたと思ったところで、上司に内容確認・決裁を依頼しました。すると上司からは中身も見ずに一言だけ、
「信じているから、それで良いよ」
どうでも良いような資料ならば、この回答で良いと思います(そんな資料ならばそもそも上司に確認をとりませんが)。しかし、今回は大事な会議の資料であり、上司に最終決裁権限があるものです。ハンザワは「信じているから」という言葉を言われたときに強烈な違和感を感じました。これは管理職の「職務放棄」ではないのかと。
管理職の仕事は部下を信じることではない
管理職の仕事は「部下の指導をすること」や「部下のミスをみつけること」です。部下を信じるのは管理職の仕事ではないと思います。信じるだけなら誰でもできます。むしろ能力がある上司よりも、何にもわかっていない無能の上司の方が、部下を心から信じることができるかも知れません。
疑う人は悪い人、信じる人は良い人だという風潮が管理職の職務放棄を生む
上司に対する誤った印象
「部下を信じている上司」と聞いて、みなさんはどのような印象を受けるでしょうか。きっと「良い上司に違いない」と思うのではないでしょうか。逆に「部下を疑っている上司」と聞くと悪い印象を持つはずです。しかし、この思考は違うと思います。
疑っている人は考えている人
ハンザワは仕事上で「信じているという人=考えていない人」、「疑っている人=きちんと考えている人」だと思っています。信じるという行為は素晴らしい行為のように思えますが、ビジネス上では思考の停止・仕事の放棄に他なりません。
「部下を信じていました」は責任逃れ
「部下に任せていましたので知りませんでした」会社の不祥事などの記者会見でこのような言葉を聞いたことはないでしょうか。とんでもない責任逃れです。
記者会見を行っている偉い人は「自分は部下を信じていたのに裏切られた。裏切った部下が悪い」とアピールしたいのかも知れませんが、「私は管理職として無能です」と言っているに等しいと思います。
忙しくて全てを見ていられないは会社組織を改善する必要あり
「忙しくて全部を見ることはできない」と言い訳する管理職もいると思いますが、その場合は会社組織をすぐに見直すべきです。部長が忙しいならば一部の業務の決裁権限を課長に移せば良いですし、課長が忙しいならば課長代理や係長に決裁権限を移すべきです。(課長代理や係長は管理職ではないかも知れませんが)
部長決裁の案件なのに、部長は信頼している課長がチェックしているだろうと内容を確認せずに承認する。ところが、その信頼された課長は課長代理や係長がチェックしているだろうと内容を確認せずに承認していた。このような事態は最悪です。
最後に
信じるという言葉は都合の良い言葉だと思います。言い方は悪いかも知れませんが、「俺は知らない。何かあったらお前の責任だ」と言っているようなものだと思います。もし、ハンザワが管理職になれた時は、しっかりと部下の資料をチェックする上司になりたいものです。
それでは!